伊藤左千夫の眼差し

岡井隆『『赤光』の生誕』を読んでいる。


『赤光』の生誕

『赤光』の生誕


斉藤茂吉の第一歌集『赤光』に所収された「悲報来」、「死にたまふ母」といった歌の時代性を読み解く本で、『赤光』が出版された時代の様々な人物や事件を掘り下げることで、繊細な木版画を描くように、『赤光』の歌の意味を浮かびあがらせている。


本の序盤は、日露戦争後の血なまぐさい日本の情勢と、それに呼応する歌をつくった石川啄木、木下杢太郎といった茂吉と同時代の歌人達が描かれている。


印象的だったのは、茂吉の師、伊藤左千夫に関する描写だ。型を重んじ、万葉歌調の優美な歌を作った左千夫は、東京の茅場町で牛乳搾取業を営む自営業者だった。著者は、彼の歌よりも、牛飼いとして働く日々が書かれた日記や書簡に注目する。家族とのやりとりや牛の容態を細かく観察した散文は、活き活きしていて、読者をひきつける。


左千夫の弟子茂吉は精神科医として働く日々を歌にしたが、左千夫は牛飼いとして働く日々を歌にすることは殆どなかった。創作活動が毎日の労働から分断されていた。


著者は、直接的な意見を書いているわけではないのだが、左千夫の作歌姿勢をもったいないと思っているのではないだろうか。勤勉で、夜遅くまで牛を見つめて働いた左千夫は、その体験をもとに活き活きとした短歌を生み出していたのではないだろうか。残した作品群とはまた違った歌の世界を生み出していたのではないだろうか。


職業であれ、身分であれ、自分の立ち位置はユニークであり、自分以外の誰一人として同じ立ち位置を共有する人はいない。写実的な眼差しも、観察者の個性という色眼鏡の色に染まっている。しかし、色眼鏡に染まった眼差しが描写に深みを与える。左千夫が牛の仕草や表情を活き活きと描き出したように。


転じて、自分の立ち位置を考えてみる。自分のユニークな立ち位置は何か。そして、眼差しはどこに向かうのか。


今日のところ、その眼差しは、原価計算システムの外部設計書に向けることにする。

牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いに起る(伊藤左千夫)

クルマがある生活

三ヶ月に一度くらいのペースで、お客さんの工場の敷地内で自動車メーカー各社が新型車の展示会をしている。この前はトヨタのディーラーが来ていて、プラグインハイブリット仕様のプリウスを展示していた。ボンネットが開けられてエンジンなどの内部構造が見られるようになっていたが、俺はあまり詳しくないし、実物を眺めても良く分からないので、カタログだけもらって自分の机に戻った。


カタログをひろげると、プラグインハイブリットの仕組みが分かりやすく説明されていた。常時はバッテリーの電力をモーターに流し込み、タイヤを駆動させることで走行するが、バッテリーの電力が不足すると、動力源がモーターからエンジンに切り替わる。ドライバーが意識せずとも、道の傾斜や走行速度によって、自動的にこの切替作業が行われる。電気自動車でありながら、電力を気にすることなく、ドライブができるというわけだ。車にあまり興味が無い俺にとっても、先進的な技術にロマンを感じる。クルマの未来はきっと、こっちの方向へ向かっていくのだろう。


自動車産業で仕事をはじめるまで、クルマに全く興味が無かった。公共交通機関が発達している都市部に住んでいるので、電車やバスといった代替手段があるし、車にかかる諸々の費用を考えると、購入には二の足を踏んでしまう。クルマが無くても普通に生活ができるのだし、近場は自転車で、遠くへは電車で、という結論に行き着く。クルマを所有して、クルマで出かけて、という「クルマがある生活」を想像できない。


自動車メーカーはクルマ離れを起こしている若者にクルマを買ってもらうために、機能性やデザイン性ではなく、「クルマがある生活」に焦点をあてたCMを打ち出している。ダイハツのCMは、瑛太が演じる主人公が都会から地方都市に引っ越してきて、街に溶け込みながら生活していくストーリーが描かれている。クルマは物語を支える小道具に過ぎない。
登場するクルマに装備されている機能の詳細は排除されて、「低燃費」というシンプルなキーワードだけがフォーカスされている。


経済力を脇に置けば、クルマ離れを起こしている若者の消費を喚起させるのは、「クルマがある生活」のイメージだと思う。壮大な景色が広がる山道を唸りを上げて走らずとも、近所のスーパーマーケットに卵を買いに行くだけでもいい。日々の生活にクルマが入ってくることで、どんなことが出来るようになるのか。パワースライドドアやアイサイトといった機能ではなく、生活を支える根源的な機能として、クルマは大きな役割を果たすことができる。


名古屋から少し外れた地方都市で働いていると、ここでの生活は都市での生活と大きく違うことに気がつく。スーパーマーケットに食材を買いに行くのも、友達とご飯を食べに行くのも、少しお洒落な洋服屋にでかけるのも、全てクルマで移動する。街の機能が偏在する地方では、クルマが無いと生活ができないので、家族が一人一台クルマを所有していることも珍しくない。なるほど、この街でクルマとはこんなに重要な役割を果たしているのかと思い知らされた。


クルマの根源的な機能は移動することだ。だから、都市部に住み、移動手段を公共交通機関で補っている俺のような若者は、クルマを保有しなくなる。


クルマはもっと、根源的な機能に立ち返るべきだと思う。移動手段としてのクルマは生活に大きな変化を与えることができる。街の機能が偏在する場所で、移動手段としてのクルマが大きな役割を担うことができる。


プラグインハイブリットのように、先進的で高度な技術がユーザの意識しないところで働き、プラグをコンセントに指せば動き出す電子レンジのように、クルマを運転できる。そんな高度でシンプルなクルマは、今とは全く違う生活を可能にしてくれると思う。


クルマについて、他にももっと色々考えてみたいけれど、この記事はこのへんでおひらき。

祖母と写真展

日曜日、祖母と二人で大阪梅田の大丸百貨店で開催されている岩合光昭の写真展に行ってきた。祖母が心斎橋の大丸百貨店で売り子をしていた頃、岩合さんの御兄弟が同じ部署で働いていたらしい。彼が撮った猫の写真が見たいというので、寒風吹きすさぶ梅田に足を運んだ。

最近改装して綺麗になった大丸の15階。広いイベント用スペースをパーテーションで区切り、暗めのライティングで、大小さまざまな写真が飾ってある。『どうぶつ家族』というのが写真展のテーマで、兄弟で遊ぶチンパンジーや母から母乳をもらうトラなど、家族と居ることで少し表情が緩んだ動物の一瞬が、画に収められていた。祖母が見たがってた猫の写真は見当たらなかった。


動物の写真が並ぶ展覧会で、一点、草原地帯の日没を捕らえた写真があった。焼けるように朱に染まった空の下、豊かに枝を伸ばした一本の木が生えている。低い草が一面に広がる中、一本の木は空に向かって枝を伸ばし、葉をつけ、影を作っている。ちゃっちゃと動物の写真を眺めていた祖母は、その写真の前で立ち止まり、じっと画に収められた木を眺めていた。


『ほんまに立派な木やな〜。毎日、こんな景色を見て暮らしていけたら、どんなに幸せやろな〜』


写真の前を離れた後も、祖母は杖で体を支えながら、幾度と無く写真のほうに振り返り、物惜しげに木を眺めていた。


大恐慌の年に生まれ、斉斉哈爾(チチハル)の街で育ち、空襲で全てを失った大阪で暮らしてきた祖母は、今年83歳になった。

斉斉哈爾の襤褸屋の隅で霜を抱き夜明かしたりと祖母は語りき(賽野かわら)

モノを買ふ土曜日

手先が不器用で、大雑把だが、机の上に置いてある本だとか、携帯電話だとか、メガネのケースの配置が気になる性質だ。埃の被ったスピーカーも、テレビ台と並行に置いてないと気になる。今パソコンを広げている机も、フローリングの木目と並行に置いていないと気になる。ちょっとでも動いたら、いそいそと元に戻す。こだわりは、全てのモノに対して平等ではなく、独断と偏見によって取捨選択されたモノだけに注がれる。


俺の親は、モノを買い込んで部屋に置いておく癖がある。母親はとにかく、菓子から文房具から服から、何でも部屋に置いておく人で、実家のソファの上には、クローゼットに入りきらなくなったコートやカットソーが散乱している。台所の戸棚の前にも、入りきらなくなった油、醤油等の液物がチェスの駒のように並べられている。父親はというと、健康器具が好きで、腹筋、背筋、上腕二頭筋、あらゆる部位を鍛える器具を買っている。最近のお気に入りはストレッチポールという細いサンドバックのような器具だ。


俺は家にモノを置いておくのが嫌いなので、親と喧嘩をする。正月に実家に帰った時も、俺が着ていたコートを置く場所が無くて、なぜこんなにモノが多いのかと、口論になった。実家に一緒に住んでいた時から、俺はモノが多い部屋が嫌いで、早く一人暮らしがしたかった。モノが溢れた部屋に嫌気が差して、卒業アルバム等の記念品を捨てようとして、大喧嘩になったこともある。


今日はなんばパークスに出かけたのだが、世の中というのはモノを売る店で溢れているなと思った。雑貨、健康食品、調理道具に、アクセサリー。なんばパークスを訪れる人たちは、皆モノを求めている。花のように数日で枯れてしまうものから、食卓のように、何年、何十年と使うものまで。道を歩く人はモノを求めている。平日働いた金で買い物をする。人が生きるために最低限必要な水や食料の他に、人は様々なモノを買って生きている。


俺は今日、以下のようなモノを買った。


モヤモヤさまぁ〜ず2のDVD(@タワーレコード)
・ゆず茶(@キタノエース)
米粉のバームクーヘン(@無印)


帰り道、手に袋を持ち、張り詰めて冷たい空気をかき分けて歩いていると、夕陽が差して、アスファルトがきらきらと光っていた。モノは自分の足りない部分を満たしてくれる。モノを置いておくのはあまり好きじゃないけれど、モノを買った後の、こういう気分は嫌いじゃない。平日稼いだ金で買い物をするのも、悪くはない。


晴れやかな気分で自分のマンションに着くと、前の道路を、大量のダンボールや空き缶、衣服を詰め込んだ台車を引く浮浪者が、ゆっくり、ゆっくり、横断して行った。

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ(塚本邦雄)

自意識の問題

小さい頃に芽生える「自分は特別なんだ」という自意識は、歳を取るにつれて発酵が進み、ヨーグルトみたいにどろどろになって、やがて自分の器からこぼれ落ちる。常識が自我を押さえ、礼儀が欲望を上書き、角の無い私が出来上がる。


スティーブ・ジョブズのような才能を持った人間は特別だ。そして、特別な人間はたくさんはいない。特別だと信じてStay Foolishに振舞い続けても、いつまで経っても社会に認められない事実が、漬物石のように自分にのしかかる。それでもどこかで、「自分は特別なんだ」と思いたい。これは自意識の問題だ。


古谷実の『ヒミズ』は、自意識が肥大化して化け物になって見える主人公を描いた物語である。「普通になりたい」主人公住田は、母親が愛人と蒸発し、一人、家族で営んでいたボート屋に残される。「普通になりたい」住田は、ふらっと現れた親父をコンクリートブロックで殴り殺してしまう。「普通になりたい」住田は、人に迷惑をかける大バカ者を探すことに疲れ、ベンチに座って、うどんが食べたいとつぶやく。住田の前には、一つ目の太った化け物が現れる。化け物は「普通になりたい」と信じる傍で「自分は特別だ」と思い込む住田を追い詰める自意識そのものである。


ヒミズ 1 (ヤンマガKC)

ヒミズ 1 (ヤンマガKC)


住田のように、自意識に悩まされて、社会が灰色になって見える絶望は、捻くれて、頭でっかちの子供に共通の症状だ(無論、住田は、自意識だけではなく、社会的にも絶望的な状況に生きているのだが)。物語の最後、恋人茶沢は、住田に語りかける。結婚して、コツコツ働きながら、二人仲良く安いアパートで暮らす未来を想像して、と。それはとても大人な、社会を意識した言葉だ。でも、言葉は住田に届かない。自意識に苛まれた住田は大人になれない。


皆、自意識の化け物と決別することはできない。飼いならすように、檻の中に閉じ込め、見ないふりをする。ツイッターやブログで、自意識の端々を吐き出しながら、現実の世界では一人の社会人として立派に振舞おうとする。面倒くさいけど、反する二つの意識を並存させながら、空蝉を生きるしかない。


1パーセントくらいの「自分は特別なんだ」という自意識を秘めながら。

ふり灑(そそ)ぐあまつひかりに目の見えぬ黒き蛼(いとど)を追ひつめにけり(斎藤茂吉)

故郷から遠く離れて

週に5日間、名古屋に出張し、自分の家ではなくホテルに住まう生活を始めて一年半以上が過ぎた。ホテルのフロントでは名前を言わずとも、チェックインできるし、帰ってきたらすぐに鍵を出してくれる。ホテルの窓は見晴らしが良く、遠くに背の低い山があり、手前には駅からマンションの敷地に繋がる陸橋が見え、雨奇晴好の景色が広がるが、まるで自分の部屋から見える景色のように、目を瞑っても細かいところまで思い出すことができる。


最近プロジェクトに入った同僚は、『普段は、家に帰って子供の世話をしたり、家事を手伝ったりするけれど、出張中は部屋に帰っても何もすることが無いから、退屈だ』なんて言うけれど、そんなことは無い。椅子は座り心地が良いし、テレビも最近新しくなったし、お湯を沸かせば
お茶も飲める。ホテルのレストランで天丼を頼み、近くのコンビニでビールを調達すれば、豪華な晩飯にありつける。出張は楽しいものだ。


人は新しい場所に適合することができる。露の間に要領を覚え、土地感をつけ、我がもの顔で街中を歩きはじめる。ふとした瞬間に、過去自分が住んでいた場所を思い出し、寂寥の感が胸をよぎることもある。適合することは開き直りであり、何かを忘れることではない。ここで生きていかなければならぬという、止むに止まれぬ思いで、土地で生きる術を学ぶ。


大伴旅人は、従三位の公卿の地位に登ったエリート役人で、師(そち)として九州の大宰府に赴任した人である。下向直後に妻を亡くし、後に出世の道も絶たれ、憂いに満ちた歌を万葉集に残した。

世の中は空しきものと知る時しいよいよますます悲しかりけり


故郷飛鳥を離れて、大宰府で生活する中で、旅人は世の中は物事が空しいものであり、それがわかってますます悲しいことだと言う。故郷を思い、根無し草になりながら、職務に追われる日々。しかし、旅人は山上憶良や自分の部下達と梅花宴なる歌会を開いたり、酒を飲んで空想に満ちた歌を詠むなど、孤独な場所で開き直る術を見出した。


馴染みのない場所でも、一晩経てば、自分に寄り添ってくる。俺が最初にアメリカに渡った時、フィラデルフィアという街の、市庁舎から南にいった所にあるホテルに宿を取った。外は体の大きなアメリカ人が闊歩し、テレビをつければ聞き取れない英語が流れ、孤独を分かち合う知り合いもおらず、枕は首を痛めそうなほど高かった。それでも、次の朝、霧の立つフィラデルフィアの街はどこか親しげに思え、ここで生活していかないと、と強く心に決めたものだった。


どんな場所でも一晩寝れば良い。次の朝、目の前に広がるのは昨日見た場所であり、知った場所だ。そうやって、開き直って、思い出を上塗りしながら、新しい場所に適合して、生きていく。ここで生きるしかないんだと、開き直って。

我が園に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来るかも (大伴旅人)

モヤさまな日曜日

毎週日曜日の楽しみは、夜七時から放送している『モヤモヤさま〜ず2』。さまぁ〜ずの2人と東京テレビの大江アナウンサーが、主に東京各地の"モヤ"っとしたスポットを巡る旅番組である。モヤっとしている場所というのがミソで、メジャーなスポットはあえて行かない。(例: 巣鴨の刺抜き地蔵、後楽園の東京ドーム) さまぁ〜ずと大江アナが向かうのは、巨大サボテンが群生している家具屋さんとか、けん玉協会とか、カレー屋に間違われる電機屋の事務所である。二00七年に深夜番組としてスタートして、二0一0年にゴールデンタイムに移り、メジャーなスポットを巡る機会も多くなったが、番組を通じたユルい雰囲気は健在である。


前回放送のモヤさまが訪れた場所は雑司が谷。街は豊島区に位置していて、我が古巣の大塚と同じ区。ブログを拝読している方が雑司が谷に住んでると書いていたことを思い出した。


鬼子母神、双子が経営しているドライアイス卸屋、自動販売機がドアの前に設置されている中華そば屋等が紹介される。店の前に自動販売機といえば、大阪難波のハンバーグ屋『グリル清起』だ。雑司が谷の中華そば屋は缶ジュースの自動販売機だったが、『グリル清起』はタバコの自動販売機である。店内は少々汚いが、半熟卵がのったでかいハンバーグはすこぶるうまい。


日曜日の夜はモヤさまと共に過ぎていき、九時を過ぎたら、出張のためのパッキングという一週間で最も憂鬱な作業をこなし、終わったら本等を読んで、次の日にそなえて早く寝る。


出張日の前日に見た夢は、天然だと思ってとっておいた鰻が実は養殖だったと発覚して、カヌーに乗って天然鰻を捕りに川を下る夢だった。

「目に物を見せてやるよ」と投げ捨てたセーターは赤マフラーも赤(賽野かわら)