伊藤左千夫の眼差し

岡井隆『『赤光』の生誕』を読んでいる。


『赤光』の生誕

『赤光』の生誕


斉藤茂吉の第一歌集『赤光』に所収された「悲報来」、「死にたまふ母」といった歌の時代性を読み解く本で、『赤光』が出版された時代の様々な人物や事件を掘り下げることで、繊細な木版画を描くように、『赤光』の歌の意味を浮かびあがらせている。


本の序盤は、日露戦争後の血なまぐさい日本の情勢と、それに呼応する歌をつくった石川啄木、木下杢太郎といった茂吉と同時代の歌人達が描かれている。


印象的だったのは、茂吉の師、伊藤左千夫に関する描写だ。型を重んじ、万葉歌調の優美な歌を作った左千夫は、東京の茅場町で牛乳搾取業を営む自営業者だった。著者は、彼の歌よりも、牛飼いとして働く日々が書かれた日記や書簡に注目する。家族とのやりとりや牛の容態を細かく観察した散文は、活き活きしていて、読者をひきつける。


左千夫の弟子茂吉は精神科医として働く日々を歌にしたが、左千夫は牛飼いとして働く日々を歌にすることは殆どなかった。創作活動が毎日の労働から分断されていた。


著者は、直接的な意見を書いているわけではないのだが、左千夫の作歌姿勢をもったいないと思っているのではないだろうか。勤勉で、夜遅くまで牛を見つめて働いた左千夫は、その体験をもとに活き活きとした短歌を生み出していたのではないだろうか。残した作品群とはまた違った歌の世界を生み出していたのではないだろうか。


職業であれ、身分であれ、自分の立ち位置はユニークであり、自分以外の誰一人として同じ立ち位置を共有する人はいない。写実的な眼差しも、観察者の個性という色眼鏡の色に染まっている。しかし、色眼鏡に染まった眼差しが描写に深みを与える。左千夫が牛の仕草や表情を活き活きと描き出したように。


転じて、自分の立ち位置を考えてみる。自分のユニークな立ち位置は何か。そして、眼差しはどこに向かうのか。


今日のところ、その眼差しは、原価計算システムの外部設計書に向けることにする。

牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いに起る(伊藤左千夫)