自意識の問題

小さい頃に芽生える「自分は特別なんだ」という自意識は、歳を取るにつれて発酵が進み、ヨーグルトみたいにどろどろになって、やがて自分の器からこぼれ落ちる。常識が自我を押さえ、礼儀が欲望を上書き、角の無い私が出来上がる。


スティーブ・ジョブズのような才能を持った人間は特別だ。そして、特別な人間はたくさんはいない。特別だと信じてStay Foolishに振舞い続けても、いつまで経っても社会に認められない事実が、漬物石のように自分にのしかかる。それでもどこかで、「自分は特別なんだ」と思いたい。これは自意識の問題だ。


古谷実の『ヒミズ』は、自意識が肥大化して化け物になって見える主人公を描いた物語である。「普通になりたい」主人公住田は、母親が愛人と蒸発し、一人、家族で営んでいたボート屋に残される。「普通になりたい」住田は、ふらっと現れた親父をコンクリートブロックで殴り殺してしまう。「普通になりたい」住田は、人に迷惑をかける大バカ者を探すことに疲れ、ベンチに座って、うどんが食べたいとつぶやく。住田の前には、一つ目の太った化け物が現れる。化け物は「普通になりたい」と信じる傍で「自分は特別だ」と思い込む住田を追い詰める自意識そのものである。


ヒミズ 1 (ヤンマガKC)

ヒミズ 1 (ヤンマガKC)


住田のように、自意識に悩まされて、社会が灰色になって見える絶望は、捻くれて、頭でっかちの子供に共通の症状だ(無論、住田は、自意識だけではなく、社会的にも絶望的な状況に生きているのだが)。物語の最後、恋人茶沢は、住田に語りかける。結婚して、コツコツ働きながら、二人仲良く安いアパートで暮らす未来を想像して、と。それはとても大人な、社会を意識した言葉だ。でも、言葉は住田に届かない。自意識に苛まれた住田は大人になれない。


皆、自意識の化け物と決別することはできない。飼いならすように、檻の中に閉じ込め、見ないふりをする。ツイッターやブログで、自意識の端々を吐き出しながら、現実の世界では一人の社会人として立派に振舞おうとする。面倒くさいけど、反する二つの意識を並存させながら、空蝉を生きるしかない。


1パーセントくらいの「自分は特別なんだ」という自意識を秘めながら。

ふり灑(そそ)ぐあまつひかりに目の見えぬ黒き蛼(いとど)を追ひつめにけり(斎藤茂吉)