御堂筋バスターズ Ep.1 いい質問ね、斉藤君

コンクリートの地面に反射した朝日が皮膚を焦がし、セミの鳴き声が耳の奥で駆け回った。湿気と熱気が体にまとわりつき、一歩を踏み出すのも億劫だ。兎我野町のラブホテルを出て数分が経った。前頭葉に靄がかかり、思考がはっきりしないまま俺は歩き続け、木村寛子は俺の1m離れた左後方からゆっくりとした足並みでついてきている。


『曽根崎町まで歩くから。』


俺がそういうと、木村寛子はゆっくりとうなづいた。


欲情を絞った残りカスのような倦怠が街を覆っている。コンビニの表のゴミ箱からペットボトルが溢れ、コバエがたかっている。自然あふれる場所で浴びればどんなにか気持ちのいい朝日も、風俗街の真ん中で浴びれば、その日差しの強さにうんざりするだけだ。下シャツの生地が汗を吸い、歩く振動で皮膚にへばりつく。


兎我野町から西へ歩き、新御堂筋が頭上を通る国道423号線を横切った。休日の朝だというのに、大小様々な車が行き交っている。交差点で手を上げる客を見つけ、急ブレーキ急ハンドルで横づけしたタクシーに、『にこにこ水産』と荷台に書かれた10tトラックが汽笛のように長いクラクションを鳴らした。


中崎町の交差点を渡り、お初天神通り商店街のam/pmに入った。俺達の他に客は三人。化粧が濃い女が二人とリュックサックを背負った老人が一人いる。ペットボトルのお茶を片手に持ってスポーツ新聞の見出しを見ていた老人が、俺の顔をちらりと見た後、俺の左後方にいる木村寛子を見た。皺だらけの目じりの肉を引き伸ばすように目を見開き、木村寛子の"顔"を通帳残高の桁を確かめるようにまじまじと眺めた。


俺はレジの前にある棚に行き、様々な種類のガムからストロベリー味のものを選び、


『これでいいか。』


といって、店の入り口付近に立つ木村寛子に突き出した。


『なんでもいいわ。あなたが選んで頂戴。』


木村寛子はゆっくりと"鬣"をなでながら答えた。アイドルが歌うアップテンポな歌が流れる中、彼女の上品な声は不気味なほど鮮明に店内に響き渡った。あるいは俺が彼女に対して感じている恐怖によって、耳と脳が彼女の声の周波数と同期してしまったのかもしれない。


『じゃあ、これ、買ってくるから。』


そういって、俺はレジに行き、ガム代を支払った。腰の曲がった60歳近くの女性店員は俺のほうには一瞥もくれず、店の入り口付近をずっと見つめていた。


am/pmを出て、俺と木村寛子はすぐ傍のマクドナルドに入った。レジに人は並んでいない。"チャオ"と名札にかかれた女性店員にSサイズのコーヒーを二つ注文し、二階に上がった。窓際のカウンター席に突っ伏して寝ている男が一人。他に客はいない。BGMも無く、商店街を歩く人の足音が聞こえるほど静かだった。


禁煙席の真ん中の4人席に座った。仕事の鞄を横の椅子に置き、樹脂性の硬い椅子が尻骨に当たらない位置を探して、深く腰を下ろした。ブラックのコーヒーを一口飲むと、ねばねばとした唾液とまざり、苦味と酸味が舌全体に広がった。


『朝ご飯を食べる気分になれないから、コーヒーで我慢してくれ。長居をするつもりはない。』


礼儀正しく、背筋を伸ばして椅子に座り、俺から見て右斜め上をじっと見つめる木村寛子の顔を見た。"表情"ひとつかえず、微動だにしない。


『気を悪くされても困る。だけど、よかったら教えてくれ。なぜ君は、朝起きたら…。』


木村寛子はゆっくりと"鬣"をなでた後、コーヒーを手にとった。


『馬のマスクをかぶってるんだ。』


木村寛子は、二三秒思案した後、コーヒーを飲まずにテーブルに置いた。


『いい質問ね、斉藤君』