地震の記憶

9歳のときに阪神大震災を経験して以来、地震でもないのに自分が揺れているような錯覚に陥ることがある。ふとした時に、ゆらりと脳が揺れ、体が平衡を保てなくなる。地震だと思い、体を小さくして神経を研ぎ澄ませる。壁が軋んでいないか耳をすまし、カーテンの裾に目を凝らす。全てが揺れず静かにそのままで在ることを確認した上で、ただの錯覚であった、と自分に言い聞かせる。あの日以来、世界は揺れるのだと知ってしまった。


3月11日の地震が起きた直後、何かしないと、という思いが強かった。阪神大震災の時、おにぎりを配っていたボランティアの人達を思い出した。自分にもきっとできることがある。避難所のゴミ出しとか。燃料タンクの運搬とか。しかし…。


阪神大震災のとき、一番大事だったことを思い返した。自衛隊の出動が遅れ、多くの方が亡くなられたこと。真冬の時期、ライフラインが断ち切られ、多くの方が避難所で毛布にくるまって生活されていたこと。しかし、何よりも忘れてはならないのは、被災された方が長い期間を仮設住宅で暮らさなければならなかったことだ。


地震から1ヶ月が経ち、半年が経ち、1年が経っても被災された方は狭い仮設住宅に滞在しなければならなかった。被災地から遠く離れた人達が地震を遠い昔の出来事として記憶の棚に閉まっている一方で、仮設住宅では多くの老人が孤独死を迎えていた。


NHK公式ツイッターの中の人も、一番大事なのは忘れないことだ、と言っていた。中の人は阪神大震災で被災されたらしい。あの時に学んだ教訓はたくさんあるけれど、直接被災していない人間ができることは、いつまでも忘れないことだ。


これから何ヶ月も何年も経った時、生きている人たちに差し伸べられる手を、ずっとポケットの中に入れて、暖めておきたい。

わかったよ。津波は俺が 止めてやる。右手があれば おつりがくるさ。