朝目覚めるために毎晩僕は夢を見るのです

毎日途切れなく連続している日々というのは恐ろしい。仕事を終えて家に帰る。風呂に入る。寝る。起きる。髭を剃って歯を磨き、支度をする。仕事に行く。仕事をする。仕事を終えて家に帰る…。


朝と夜が一つの線で結ばれると、自分の尻尾を飲み込む蛇の如く、終わりと始まりの無い無限に続く輪廻を想起してしまう。朝と夜が一つの線で結ばれると、人の生活を超えた普遍的なものに辿りつく。それは小さな子供が『死』や『宇宙』について開く幼稚で原始的な悟りに似ている。朝と夜が一つの線に結ばれると、人は人としてではなく、一つの生命としての哲学的な次元で物事を考える。我とは、思うとは、存在とは。


しかし、毎日朝目覚めて、仕事場に向かうには、森羅万象の普遍性や、宇宙や、存在について思惟をめぐらせている暇は無い。(そして巡らせてしまったが最後、輪廻を断ち切る不幸な最後を遂げる人がいるのだ)。歯を磨き、セミウィンザーノットでネクタイを締め、踵のつぶれた革靴で部屋を出なければならない。朝と夜に楔を打ち込むことで、飲み込んだ尻尾を吐いて、地べたを這って前を進まなければならない。


そのために、夜眠り、夢を見る。


始まりと終わりの無い日常の尻尾をナイフで切り取り、ここからここが今日、ここからここが明日、という具合に整理をする。それが夢を見ることだと思う。だから、次の日の朝、目覚めることができる。


朝目覚めるために毎晩僕は夢を見るのです。