叙情は文語体で

金曜日、名古屋から大阪に戻り、梅田の紀伊国屋に寄った。キャリーバックを引っさげて、過疎化した詩・俳句・短歌の棚に向かうと、塚本邦雄西行百首』(講談社文芸文庫)が平積みされていた。


西行百首 (講談社文芸文庫)

西行百首 (講談社文芸文庫)


俺が茶屋町MARUZEN&ジュンク堂書店で購入した時は、人里離れた講談社文芸文庫コーナーの「つ」の著者名で探し出したので、扱いが良くてちょっとうれしい。


twitterや書籍を通じて口語体の短歌に慣れ親しんだために、文語体(加えて塚本の本は旧漢字・・・)はとっつきにくい。でも、目の前にぱっと風景が広がるような骨髄に響く短歌に出会う時もある。例えば下記のような詩だ。

心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ澤の 秋の夕暮れ (西行)


塚本は、歌界で活躍する歌人西行が"心なき"と歌うのはいささか胡散臭いと評しているが、"あはれ"という言葉を歌に折り込むシンプルで実直な表現が俺は良いと思った。


文語体に慣れ、自らの言語として会得できれば、更に多くの骨髄に響く詩に出会えると思う。新しい言語を覚えるというのは(学生時代にも学んでいるはずではあるが)、結構、かなり、エキサイティングな体験なのだ。


とりあえず、"おかし"はMEIJIやグリコじゃないというところからスタートしたい。

仕事なき 身にも希望は 知られけり アンチノミーを 抱き落つ夜 (賽野かわら)