佇む人

今朝、仕事場のプリンターが断末魔の悲鳴のような音を上げて、紙が詰まった。あっちゃこっちゃで紙が詰まるおんぼろプリンターだが、今朝のような音がしたのは始めてだ。思わず同僚と、


「え、マジ? 遂に死んだ?」


などと言っていたのだが、詰まっていた紙を取り除いてあげたら、ちゃんと動き出した。お客さんから借りているプリンターなので、俺達がここを出て行くまでは、動いていてもらわないと困る。


物が壊れると「話しかける」ということは良くある。思い通り動かなくて、「やつあたりする」こともある。なんでこいつは言うことを聞かないんだ、と、物にまるで人格があるような、そんな態度で接する。普段は、スイッチを押すだけなのに。


『考える人』(新潮社)に、小林秀雄賞を受賞した高橋秀実のインタビューが載っていた。


考える人 2011年 11月号 [雑誌]

考える人 2011年 11月号 [雑誌]


高橋さんは、自分は常に佇んでいる人だ、という。「佇む」って何とインタビュワーが聞くと扇風機やテレビが壊れて本来の機能が失われた状態のことだと言う。それ以上のはっきりとした定義を高橋さんはこたえていない。


目的とか、因果とか、モノは色んなものにがんじがらめにされるけれど、実際はただそこに在るだけ。そういう純粋な状態のことを「佇む」、といっているのではないか、と俺は想像する。


プリンターだって、本来の機能を失い、佇み始めると、その存在が気になる。思わず、おい大丈夫か、といいたくなる。そして、もう二度と動かないと分かれば、佇むモノは用なしなので、お引取り願わなければならない。


本来の機能を失って佇むモノ・人を許容してくれる場所って、あんまり無いのだ。


まさか同じ部屋で仕事をしている上司も、目の前の部下が佇んでブログで日記を書いているとは、夢にも思うまい。

考えて うまくいかない こともある カゴメが飛んだ ほうへ行こうよ