仕事漂流

ここ2週間ほど、忙しい日々が続いている。GW明けから、毎朝5:55に起きるようにしているので(それまでは6:20だった)、仕事と寝不足のダブルパンチが体にこたえてきた。座りっぱなしで血流が滞り、夕方頃に足の裏が燃えるように熱くなる。たまらなくなって革靴を脱ぐと、饐えた臭いがデスク周辺に充満する。


5月は評価の時期だ。今の会社で勤めて3年経った。1人前の仕事をできているか、専門性とプロフェッショナリズムが骨となり、肉となっているか、自問自答しながら日々パソコンに向かう。1年間の後続契約を結び、上がり調子のプロジェクトに在籍しているので、評価は悪くない。次期はシニアコンサルタントになれるかもしれない。(一般事業会社だと主査ぐらいか)


キャリアの観点から見れば、悪くない。大きく膨らむことなく、トラックの第一コーナーを曲がれそうだ。そしてこのまま、スキルを磨き、知識を増やし、歳を重ねるごとに、キャリアの階段を上へ上へと上っていけそうだ、という希望的な想いがある。…しかし。


本当にこのままで良いのか、キャリアを積んで上へ上へと上っていくことに何か意味はあるのか、と思う。ふと、生産管理・会計・システムといった仕事に関するキーワードが色褪せて見える瞬間がある。定年までの35年間、その後死ぬまで続ける仕事は、情報を加工して、表現を変えて、右から左へ送りだすことなのかと。


稲泉連『仕事漂流』を読んでいる。男女8人の「就職氷河期世代」の仕事体験を、転職をキーワードに綴っている。中堅IT企業から人材紹介会社に転職した男は、自分が興味を持てないネットワークシステム構築の仕事を辞めた理由について、こんな発言をしている。

極めちゃうと、そこにいないといけなくなるかもしれない。染まっちゃう。その道ではスペシャリストになるかもしれないけれど、その道に興味がなかったらリスクでしかない。そもそもスペシャリストになりたいと思えないからこその転職だし、なりたいと思えないならきっとスペシャリストにだってなれない。(p.133)


仕事漂流 ― 就職氷河期世代の「働き方」

仕事漂流 ― 就職氷河期世代の「働き方」


コンサルタントという職業は、なんでも屋だ。全く知らない領域に関する仕事でも、一夜漬けで"それなり"に語れるようにならなければならない。しかし、インプットとアウトプットを高速で行うという、スペシャリストでもある。何かをじっくり考えて、100点を狙うよりも、限られた時間、限られた情報をもとに80点を取ることが求められる。


今の会社に、あと5年程いるつもりだ。その頃には、マネージャーに昇進して、それなりに大きな仕事をしたい。そうやって、コンサルタントスペシャリストになることで、何かを極めてしまうことで、何かに色濃く染まってしまうのだろうか。


明日、上司との評価に関する面談がある。

レモン色の 付箋が風で なびく午後 仕事無いのは 私だけなの?