先生、将来の夢はウィキペディアに載ることです!

25歳になった俺の目標はウィキペディアに載ることである。


すごく馬鹿らしい目標であることは分かる。みなまで言わずとも分かっている。具体性が無い。どんな分野で、どんな職種でといった内容を一切含んでいない。ハローワークでこんなことを口走った日には担当のおじさんにタバコの火を額に押し付けられてもおかしくない。


でも、25歳になった自分の本音に真摯に向き合い、書初めの時のように心穏やかに自分の気持ちを素直に書き出した結果、今自分が持っている最も尊い目標がこれである。


教科書に載るような人物になりなさい、と親に言われたら、それは立派な人になりなさいという意味だろう。特異な才能を発揮して社会的に認められるような業績を上げる。もちろんその業績に対して批判的なことを言う人もいるかもしれないが、やいのやいのと言われることを含めて彼の名声である。


新聞の三面記事に載るようなことをするな、と親に言われたら、それは悪いことはするなという意味だろう。名誉も何も無い一般人でも犯罪に手を染めて、新聞の紙面に顔と名前を連ねれば、一夜で世間の知るところとなる。


しかし、ウィキペディアに載るというのは実に微妙な目標設定だ。


得意な業績を上げなくてもウィキペディアに記事として記載されることもある。エジソンアインシュタインといった世界的な著名人の記事もあれば、コアなファンがいる日本のアマチュアバンドやデビューしたての声優の記事もある。


ウィキペディアのあらゆる記事は等価では無いとしても、自分のことが記事になる、自分の個人名が世界中の人がアクセスできるコンテンツの一つの項目となる、というのは凄く素敵なことだと思う。筒井康隆が今度開催されるトークイベントで、会場のスクリーンでウィキペディアの『筒井康隆』の記事を映し、来場している客と一緒に内容の間違いを訂正する、という企画を行なうらしい。なんて羨ましいんだ!


自分の働く会社には、58時間ぶっ通しで提案資料を書き上げた事業部長や、客の批判にぶち切れてレーザーポインターを客の額に投げつけてノックダウンさせた支社長といった伝説的な社員がいるが、彼らはウィキペディアには載っていない。こんなに異才な人たちなのに!

白い巨塔財前五郎の義理の父である財前又一が、人間は金をいくらもっても満たされない、最後は名誉がほしくなる、と言っていた。そう、その名誉がほしい。ウィキペディアに載るくらいの名誉が!


ウィキペディアに載るよう人になりなさい、と親に言われたら、それはどういう意味だろうか。つつましく、前向きに、そして心に少しのエゴイズムを潜めて生きていきなさい、という意味だろうか。


【今日の短歌】

ウィキペディアに 載ってなかった 今日の朝 ママに言われた 内緒の呪文