匂いをサーチする

朝出勤してきて勤務地の工場の門をくぐると、独特の臭いがする。塗料、接着剤、鉄等の工場で生産している部品の原材料の臭いと、それを搬送するトラックの排ガスの臭いだ。工場棟から少し離れた事務棟の付近でも結構鼻につく。


俺が働く事務棟の1階には食堂があって、換気扇からは食べ物の匂いが漂ってくる。味噌汁や煮物の醤油の匂いが、換気扇から髪をゆらすほど勢い良く噴射される。芳しいとはいえないその匂いは、小学校の給食室と同じ匂いがして、なつかしい気分になる。


匂いで記憶を思い出すことは多いが、それは、いつもは触れないような匂いに出合った時である。給湯室ですれ違った女性から香水でもシャンプーでもない甘い匂いがしたときに、曾祖母の葬式を思い出したり、自転車のフレームの錆びた鉄の匂いをかいだ時、暗くなるまで鉄棒で空中逆上がりしていたことを思い出したりする。


匂いと匂いを発するものを結び付けられないことも多い。


『あれ、これどっかで匂ったことがあるんだけど、どこだっけ。いつだったっけ。もう一度匂えば思い出すかも。でも何の匂いなんだろう…。』


という具合に、かいだ匂いも思い出される記憶も全てが曖昧で、何かを思い出して嬉しいという気分だけは感じているのだが、それが何なのか全くもってはっきりしない。言葉にして、グーグル先生にお伺いをたてて、正体をつきとめることもできない。匂いをサーチできない。


ただ、


『あ、これは中学生の時に、いつも夜遅くなった塾の帰り道でかいだ匂いだな』


という気分だけが思い出される。


恥ずかしいことに、つい最近まで、金木犀の匂いが金木犀から発せられる匂いだということを認識していなかった。匂いの正体がわかるまでは、あの鼻いっぱいに広がるよう匂いは、黄金色に光る午後の『すずめ公園』を思い出させるばかりだった。


【今日の短歌】
安売りの ワゴンをさぐる セーターの 毛のオレンジが 芳しい秋