そんな自分が嫌いじゃない

川崎の客先に常駐して働いていた時、激務からくるストレスで咳がとまらなくなったことがあった。ネクタイを締めると喉がつまるので、ゆるくノットを結んで、だらりとネクタイをぶら下げて、仕事をしていた。


帰りはいつも終電近くで、駅のコンビニで買ったサンドウィッチとトマトジュースを胃につっこんで、部屋に帰ったら泥のように眠った。


プロジェクト全体が炎上状態だったので、俺だけではなく、他のメンバーも激務に追われていた。同じプロジェクト管理チームに所属していた中国人の先輩は、ある日原因不明の頭痛に苛まれ、3日間ほどの休暇を取って、本国の気功師のもとに治療に行った。『俺は鉄人だから』が口癖だった同チームの先輩は、朝起きれない病にかかって、何日か連続で朝の会議をすっぽかした。


俺のストレスは喉に来た。喉にしこりがあるような感じがして、更に万年鼻づまり体質なので、息が出来なくなり、咳込む。食事もままならないほどだった。


ある日、急に目が覚めて、咳き込み始めた。喘息のように止め処なく、口の中にはどろっとした痰のようなものが溢れてくる。これはまずいと思って、思わず洗面所に駆け込み、口の中のものを吐き出すと、血が混じった痰だった。洗面器に手を置いて、何度も咳き込み、そのたびに痰と血を吐いた。


目覚ましが鳴る二時間ほど前だった。洗面器は真っ赤に染まり、酸素を求めて咳込み続けながら、脳裏には正岡子規の絶筆の句が浮かんだ。

糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな


正岡子規の句にように、俺はこのまま痰が詰まって死ぬんじゃないかと思った。この時の俺はヒロイックなシチュエーションに酔っていた。回りの人間が倒れていく中、血を吐きながら仕事に励む自分。


忙しいと、自分が世界の中心にいるような気分になる。締め切りに追われ、蛍光灯の灯りの下で、時計の針に支配された夜を、キーボードを打ちながら過ごす。追い込まれれば追い込まれるほど、雑念が浄化され、自分の世界が純化されるような気がする。その感覚は夜中に訪れるが、朝になると、睡魔と共に去っていく。残るのは疲れだけだ。


でも、そんな気分が嫌いじゃない。夜中に追い込まれるのが嫌いじゃない。がんばってる自分が嫌いじゃない。


夜、血を吐いた後、寝床に着いた俺は、次の日に起きれなかった時の言い訳を、同情を誘うようなメールの文面を、疲れきった俺を演じる電話の応対をシミュレーションしながら、深い眠りについた。

つま先の 糸がほどけた 革靴で ペダルを踏んで 漕ぎ出せば夜 (賽野かわら)